セクシャルマイノリティのためのマッチングアプリ・フレマで月に一度開催しているリアルイベント。2025年、今年最後となるイベントは、オンラインでの忘年会。単なる年末の集まりではなく、「今年を振り返ろう」という軽いムードだけでもなく、「普段はなかなか言葉にできないことを、ここなら話せるかもしれない」という、静かな期待だったように思う。
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評価する場所でも、正解を出す場でもない
対面でもオンラインでも、フレマのイベントで大事にしているのは、「この場は安心して話していい場所ですよ」という認識を最初に共有すること。とくにオンラインの場合は、互いの名前を呼びやすいように表示名の変更を促したり、より一層、心理的安全性の重要さについて言及したりしている。
誰かを評価する場ではなく、正解を出す場でもない。その前提を、最初から言語化することの効果は大きいと感じる。
自己紹介が終わるころには、集まった参加者6名の住んでいる場所も、フレマを知ったきっかけも、アプリの利用歴もバラバラだという事実がわかってくる。リアルイベントには参加しづらい地方在住者にとって、オンラインは物理的な壁を取り払う手段でもある。距離の問題が消えたことで、「話したい」という気持ちだけが、場に残った。
人生の根幹に関わるテーマとは?
この夜の会話の中心にあったのは、子ども、結婚、パートナーシップといった、人生の根幹に関わるテーマだった。しかし不思議なことに、重苦しさはほとんどなかった。理由の一つは、オンラインという形式そのものにあるのではないか。
画面越しだからこそ、感情が少し緩衝される。対面よりも適度な距離があり、疲れたら一瞬ミュートにしたり、画面をオフにしたりできる。表情や反応を過剰に気にしなくていい。その“余白”が、参加者にとって呼吸のしやすい空間をつくっていた。
実際、子どもが欲しい/欲しくない、里親制度への関心、出産についての考え方など、非常にセンシティブな話題が次々と出てきた。それでも、誰かの意見に対して即座に反論が返ることはない。「そう考える背景は何だろう」「自分は違うけれど、理解はできる」という姿勢が、自然と共有されていたのだ。
これは、フレマという場が積み重ねてきたカルチャーの影響でもあるだろう。
性的関係を前提としないパートナー探し、恋愛至上主義から距離を取る姿勢。そうした価値観を持つ人が集まっているからこそ、「結論を急がない会話」が成立していた。
オンライン空間における“リビング感”
また、オンラインであることは「聞く側」に回る自由も保障してくれる。発言しなくてもいい、無理にまとめなくてもいい。ただ頷きながら聞くだけの時間も、立派な参加だ。この受動性の許容が、場の安全性をさらに高めていたように思う。
イベントの後半には、猫の飼育や次回イベントのアイデアなど、少し雑談めいた話題も増えていった。人生設計の話から、具体的な日常の話へ。緊張がほぐれた証拠だ。こうした流れが自然に生まれるのも、オンラインの“リビング感”があってこそだろう。
参加者からは、「こういう場が定期的にあると助かる」「また話したい」という声も上がった。月に一度のイベントが、単発の交流で終わらず、生活のなかの“支点”になり得ることが、はっきりと見えた瞬間だった。
フレマのオンライン忘年会は、答えを与える場ではない。
けれど、「一人で考え続けなくていい」という感覚を、確かに参加者に手渡していた。画面越しに集まった6人のあいだに生まれていたのは、関係性そのものよりも、「ここに戻ってきてもいい」という居場所の感覚だったのかもしれない。
オンラインという形式は、孤独を完全に消す魔法ではない。それでも、孤独を抱えたまま話せる場所をつくることはできる。この夜のフレマのZoomルームは、その可能性を静かに、しかし確かに示していた。



