孤独・弱さ・支え合いを認めあえる社会にするには?誰しも陥る“セルフ圧”から逃れる方法

孤独・弱さ・支え合い 結婚しない

独身&恋人なし歴が長くなってくると、これまで一人で生きてきたし、これからも一人で生きていく感覚が日増しに強くなっていき、そのうち「なるべく他人様に迷惑をかけないように……」「せめて自立した大人でいなくては……」なんて、どんどん卑屈な態度になってきてしまう。「頼ってはいけない」「甘えてはいけない」そんな“セルフ圧”に気づく瞬間があるのだ。私だけだろうか? どうしたら、このセルフ圧から逃れられるのだろう。

“誰にも頼らない”って、本当にすごいこと?

家族、友人、仕事関係の知り合いなどと話すとき、何かあるごとに「迷惑かけてごめんね」と言いまくっている気がする。別に落ち着いて考えてみたら、とくにこれといって迷惑をかけていない場合でも、とりあえず謝っている。

もう良い大人なので家族とは離れて暮らしているし、友人はごく少数で恋人もいない。一人でいる時間のほうが圧倒的に長い。そんな人生を日々生きていると、他人様に迷惑をかけたり甘えたり頼ったり……といった瞬間がすこぶるビビッドに目立つのである。

「わ! 恐れ多くも他者の人生に影響を与えてしまったかもしれない!」なんて思うと、いてもたってもいられない。それで半ば反射的に謝罪体制に入ってしまうのだろう。

でも、そもそも「自立=完全な独立」というのは勘違いだ。自分の稼ぎで一人で暮らしているからといって、誰の助けも借りずに生きているわけではない。もっと根本のところを掘っていくと、私たち現代人の精神には異常に「助けを求める=負けや恥」といった概念が刷り込まれ過ぎている気がする。

しかし、思う。本来は「他者同士、お互いに甘えたり頼ったりする関係性を築く力」こそ、豊かさなのでは?

“弱さ”を見せられる場がない社会で

弱さを見せれない社会

私はかれこれ6〜7年ほどシェアハウスで暮らしている。シェアハウスとは、その名の通り共同生活。キッチンやお手洗い、洗濯場、お風呂場などを共有しながら日々の暮らしを営んでいく。そうなると、どうしたって同居人の手を借りたくなる瞬間が出てくる。

たとえば、出かける前に洗濯機と乾燥機をまわしておきたい! と思ったとき。洗濯に30分、乾燥に30分かかるとしよう。単純計算で1時間かかるわけだが、あと30分で家を出ないと予定に間に合わない。そんな切羽詰まった瞬間は予想外に訪れる。

そんなとき、今日一日、自宅でリモート勤務ですよ、なんて同居人がいれば、申し訳ないけど乾燥機が止まったら中身を出しておいてもらえる? と頼んでおける。帰りにちょっとしたコンビニ菓子を買ってお詫びに渡したり、次に自分がリモート勤務の日に宅配便の受け取りなんかを代わってあげたりすれば、それでイーブンだ。

シェアハウスでは、そんな日常の些細な頼み・頼まれ事がよく発生する。よくよく考えれば私も、この暮らし方においてだいぶ「甘えること」「頼ること」を覚えたな、と思う。

SNSや職場では「元気で、ポジティブで、生産性がある」ことが無言で求められがちではないだろうか。人に迷惑をかけず、自分のことは自分でやるのが大前提。「しんどい」なんて弱音を口にすることは早々許されない。

甘えたり頼ったりしていいのは、自分で心底努力して、頑張って、なんとか一人でこなせるように工夫もして、奥歯を食いしばりながら血豆を潰しながら、それでもどうにもならないときだけ、なんて気がする。ちょっとしたことでも「誰かに話すこと」「受け止めてもらえる場」があるだけで、人はいとも簡単に回復できるのに。

“誰にも迷惑かけない人生”なんてない

誰にも迷惑をかけないのは無理

私たちはみんな「誰かに迷惑をかけずに生きること」が善であるかのように育てられてきたのではないだろうか。

子どものころは「人に迷惑をかけちゃダメ」と言われ、学校では「自分のことは自分で」と教えられ、社会に出れば「自立していないと一人前じゃない」と責められる。けれど、考えてみれば、私たちは最初から最後まで、ずっと誰かの支えを受けながら生きている。

生まれたときには親に育てられ、先生や友達から学びを受け取り、日々の暮らしは見えない誰かの労働のうえに成り立っている。私たちが誰かに迷惑をかけて生きているのと同じように、誰かの“迷惑”にも支えられている。支えることと支えられることは、いつだってセットなのだ。

「迷惑をかけないように」と身構えすぎるのではなく「迷惑をかけても、お互いさまだよね」と言い合える関係が、一番やさしい。

それは、特別な絆や深い友情が必要ということではなく、たとえば、ちょっとした一言を交わせる関係、今日の調子を聞いてくれる誰か、困ったときに思い出せる顔がひとつあるだけでいいのだ。

孤独や弱さを「乗り越えるべき課題」ではなく「人間として当然あるもの」として受け入れる。そのためには、まず自分自身が、自分のことをゆるしてあげる必要がある。「私だって迷惑かけるかもしれない」「でも、それでもいい」と思えること。

完璧な一人の人間になろうとするのではなく、不完全なままでも関係を築いていけるような柔らかさを持ちたい。自分も、他人も、ちょっとずつ頼り頼られて生きていけたら、それだけでずいぶん、心がほぐれるような気がする。

「甘えることは悪くない」「迷惑をかけることは、自然なこと」……そんなふうに少しずつ、社会の空気がやわらかくなっていったら。もっとみんな、生きるのが楽になるのではないだろうか。

サービス紹介背景

性的関係のない
同性・異性のパートナーと
出会える

アプリ画面

性的関係のない
同性・異性のパートナーと
出会える

セクマイ3000人以上の意見を反映・国内唯一の友情結婚相談所が運営・コミュニティ機能も充実

まずは無料で始めてみよう

COLORUSマーク
イメージ画像

恋愛じゃない
結婚なら

友情結婚相談所カラーズ

創立10年目・在籍会員316人・成婚者608人・成婚率43.2%
イメージ画像

YouTube Shorts

タイトルとURLをコピーしました