私は、自分が「ノンセクシャル」だと知ったのは、わりと最近のことです。誰かを好きになる気持ちはあるのに、どうしてもそれ以上のスキンシップには踏み込めない。
キスまでは嬉しい。でもその先には、進みたくない。
その気持ちを伝えるたび、「嫌いなの?」「距離を感じる」と言われるのがつらくて、何度も自分を責めてきました。
「わがままかもしれない」
「これじゃ愛されないかもしれない」
そう思いながら、付き合うことを諦めようとしたこともありました。
けれど今は、自分の感覚を「間違っていない」と思えるようになってきました。
すぐにすべてを共有できなくても、ゆっくり築く関係もある。
今日はそんなふうに、私が少しずつたどり着いた「距離の取り方」について書いてみます。
親密さは段階で考えていい
好きになったからって、すべてをすぐに開け渡せるわけじゃありません。体の距離と心の距離は、いつも一致するとは限らないからです。
私は、誰かと親密になるときに「段階」というものを意識するようになりました。
たとえば、手をつなぐこと・ハグすること・キスすること。どれもそれぞれに感情が伴っていて、私にとっては一つひとつが大きな意味を持ちます。
なのに、一般的な恋愛では「ここまでいったら、次は当然これ」というように、親密さの“階段”があるかのように話されることが多い気がします。
でも本当は、そこに正解なんてないはずです。
自分の心が「ここまでなら安心できる」と思えるところで立ち止まってもいい。
そして、相手とそれを共有しながら、一緒に段階を作っていけたら、それはすごく大切な信頼になるのではないでしょうか。
「ここまで/ここから」の合図を決める

昔、恋人と過ごしていたとき、ぎこちない空気になったことがありました。
「今日は触れてもいいかな?」
「ちょっと苦手かも」
その言葉がどうしても言い出せず、心にモヤモヤを抱えたまま、距離ができてしまった経験です。
それから私は、言葉にする代わりに「サイン」を作るようになりました。
たとえば「今は手をつなぐのも難しい日」には、少し手のひらを握りしめるとか「落ち着いたら抱きしめてほしい」日は、指先を触れ合わせてみるとか。
最初は照れくさかったけど、相手がそのサインを覚えてくれたことで、言葉にならない気持ちを伝える勇気が持てるようになりました。
もちろん、それは“ルール”じゃなくて“合図”でいいんです。
毎回きっちり決める必要はありません。でも「どう伝えたらわかってもらえるか」を一緒に考えられる関係は、とてもやさしい関係だと思います。
負担になる日のサインに気づく
誰かと過ごす時間の中で、「今日は近づかれるのがしんどいな」と思う日があります。
体調のこともあるし、心が沈んでいるときもそう。
そういう日は、ハグやキスの一つひとつが、負担になってしまうことがあるんです。
でも、その気持ちをうまく伝えられずに、自分だけが罪悪感を抱えてしまう。そんな経験を何度もしてきました。
あるとき、思い切って「今日はちょっとしんどくて…」と伝えたら「そうだったんだ。教えてくれてありがとう」と言われたことがあります。
その一言に、どれだけ救われたかわかりません。
そのとき気づいたのは、「伝える勇気」も必要だけど「気づいてくれる人」と出会えることも、大事なんだということです。
私の“しんどい日”に気づいてくれる人となら、無理にがんばらなくても、安心して隣にいられる。そういう関係を選んでも、きっといいんだと思います。
触れない関係も選択肢に入れる

ときどき、「触れない恋愛なんて、意味あるの?」と聞かれることがあります。
そのたびに私は、胸の中で少し傷ついてしまう。だって、そこに意味があるかどうかを決めるのは、自分とその相手だけだからです。
触れることで深まる関係もあるし、触れずに育てる関係もある。どちらも愛のかたちとして、尊重されてほしいと願っています。
私にとって、「触れない」という選択は、諦めではありません。心が静かに寄り添っていられる関係性を、大切にしたいという想いの表れです。
それを「冷たい」とか「壁がある」と受け取られるのは、少しさみしい。
でも、それもまた“理解の入口”だと思って、少しずつ対話をしていけたらと感じています。
好きな人と「同じペース」で歩くことは、簡単ではないかもしれません。でも、だからこそ、歩幅を合わせようとする努力には、深い信頼が宿るのだと思います。
キスで止まりたい。それ以上に進むことが苦しく感じる。
それを、わがままだと感じてきた私が、今思うのは――
「心地よさを大事にしていい」
という、とてもシンプルなことでした。
私が感じる愛のかたちは、たとえ一般的でなくても、確かにここにある。
あなたの感覚も、どうかそのままで、大切にされますように。





