「家族って何?」を問い直す——『恋せぬふたり』が映し出した関係のかたち

3月のフレマリアルイベントでは、ドラマ『恋せぬふたり』第3〜5話の鑑賞会が行われた。参加者は3名。少人数ながら、だからこそ深く言葉を交わせる場となった。

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本作は、恋愛感情や性的関係を前提としない人々の関係性を描くドラマである。しかしその本質は、「家族とは何か」「パートナーとは何か」という問いにある。

「普通」という前提が生むすれ違い

第3話で印象的だったのは、「ほぼ家族」と「家族」の違いである。

『恋せぬふたり』登場人物の一人・咲子は、恋愛感情を介さない高橋との関係を「ほぼ家族」と表現するが、高橋はそっと否定する。「ほぼカニとカニは違う」という比喩は、関係性に名前を与えることの難しさを象徴している。

参加者の間でも、「家族はどの時点で家族になるのか」「関係は自分たちで定義できるのか」といった問いが自然と立ち上がったようだ。

第4話では、「普通の恋愛観」との衝突が描かれる。咲子の元恋人・カズは、咲子と高橋の関係性について理解できず、「恋愛関係じゃない家族になるなら、自分でもいいのでは」という形に落とし込み、価値観を押し付けようとする。

そこにあるのは、恋愛とセックスを前提とした関係こそが正しいという、無意識の価値観ではないだろうか。

この構図は現実社会にも通じる。理解されない側と、理解しようとしない側。そのあいだに横たわるのは、善悪ではなく前提の違いである。

第5話では、「家族=帰る場所」という視点が提示される。制度としての家族ではなく、安心して戻れる場所としての家族。この考え方は、従来の家族観を大きく揺さぶる。

参加者の中でも、「日常を共有すること」や「何気ない時間を共にすること」に価値を見出す声が上がった。

正解のない関係を、自分の言葉で考える

また、最終的に咲子がカズを選ばなかった理由についても意見は分かれた。「相手に我慢を強いる関係は続かない」という見方がある一方で、「相手が理解しているなら、話し合った上で関係を続けることも可能だったのではないか」という声もあった。

この揺れこそが、本作の本質である。関係に正解はない。だからこそ、人は迷い、選び、そして考え続ける。

フレマが提示するパートナーシップもまた、この延長線上にある。恋愛や結婚という既存の枠組みに収まらない関係。性的関係の有無に縛られないつながり。それでもなお「共に生きる」ことを選ぶ関係である。

その形は一つではない。

今回の鑑賞会は、ドラマを観る場であると同時に、自分自身の価値観を言葉にする場でもあった。答えを出すことが目的ではない。むしろ、答えの出ない問いを持ち帰ることに意味がある。

関係性に名前がつかなくてもいい。定義できなくてもいい。ただ、自分にとって心地よい距離や形を模索し続けること。その過程こそが、パートナーシップなのだと思う。

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