「好きな人と手をつなぐだけで十分」 そう思うのは、おかしいことでしょうか。
付き合う=キスをする、触れ合う、最終的には一緒に暮らす。
そんな“普通”の恋愛像が、まるで決まりごとのように語られることがあります。
だけど私は、手をつないで歩けるだけで胸がいっぱいになるような恋をしたことがありました。それ以上のことを求められると、どこかで戸惑ってしまう自分がいたんです。
「これって変なのかな?」
そんなふうに思ったこともあったけれど、今なら言える気がします。
手をつなぐだけで満たされる恋は、ちゃんと“本物”の恋です。
結婚=夜の営み? 刷り込まれた夫婦像を解きほぐす
結婚生活と聞くと、どうしても「夫婦生活=夜の営み」というイメージがついて回ります。
ドラマでも映画でも、結婚した男女が自然にそういう関係になるのが当たり前のように描かれているからかもしれません。
でも私には、どうしてもそこに違和感がありました。
たとえば結婚したからといって、ふたりの間に“義務”のように夜の関係が発生すること。
それが愛情の証明だとされること。
本当にそれが、愛情の形を測るものになるんだろうか?
そんな疑問をずっと抱えていたんです。
自分にとって大事なのは、そばにいてくれること。
言葉を交わしたり、同じ空間にいられたり、気持ちを通わせたりすること。
それ以上でも、それ以下でもない。
その価値観を、今の私は少しずつ大切にできるようになってきました。
手袋越しの温度で感じる満足――愛情表現の多様性

ある冬の日、付き合っていた彼と手袋越しに手をつないで歩いたときのこと。
ふわっと伝わってきた、手袋ごしの体温。
あのとき私は「このままずっと歩いていたい」と思ったんです。
何も言葉はいらなかったし、それ以上のことも必要ありませんでした。
もちろん、世の中にはさまざまな愛情表現があって、それがすべて尊重されるべきだと思います。
でも、私にとってはその「手をつなぐ」ことが、最大の愛情表現でした。手袋越しのぬくもりが、私にとっては何よりの満足感だったんです。
恋人同士の形に“正解”はない。
そんなふうに思える瞬間でもありました。
「夫婦なのにしない」罪悪感を手放す勇気
もし結婚したら、自分はどうなるんだろう。
そう考えたときに一番に浮かんだのが「しないといけないのかな?」という不安でした。
恋人としてならまだしも、結婚したら“しない”という選択は許されないんじゃないか。
そんなふうに思い込んでいたんです。
だけど、ある既婚の友人が教えてくれたんです。
「私たち、そういう関係はないよ。でも、すごく仲がいいよ」と。
それを聞いたとき、私は驚いたと同時に、どこかほっとしたのを覚えています。
“夫婦だから当然”じゃなくて、“ふたりがどうありたいか”を選んでいい。
それが、パートナーシップの本質なのかもしれないと思えたんです。
罪悪感を手放したら、もっと自由になれるんだと気づきました。
義務より合意を大切にする共生型パートナーシップ

恋愛も結婚も、“こうしなきゃ”で動くものじゃない。
お互いの心が重なったときに、自然と決まっていくものだと思います。
私は、“義務”ではなく“合意”を大切にしたい。
一緒に暮らすかどうかも、体の関係を持つかどうかも、どんな愛情の形を選ぶかも。
そのすべてを、ふたりで決めていける関係が理想だと感じています。
最近は「友情結婚」という言葉も耳にするようになりました。
お互いを支え合うパートナーだけれど、必ずしも恋愛感情や性的関係を前提としない関係性。
そんな生き方も、もっと認められていいのではないでしょうか。
私は、そんなふうに感じています。
“私たちの形”を選ぶ自由を、大切にしたい。
手をつなぐだけで満たされる恋も、
結婚しても“しない”夫婦も、
合意で築く共生型パートナーシップも。
どれも“正解”で、どれも“あり”なんだと思います。
誰かの決めたルールに縛られる必要なんて、本当はないんです。
もしあなたが今、恋愛や結婚の“普通”に違和感を覚えているなら。
それはきっと、あなただけの感性が教えてくれている大切なサインです。“私たちの形”を選ぶこと。
それは、自分自身を大切にすることでもあると、私は信じています。