一緒にゲームをすると、その人の人柄がわかる。初対面でも、たった数分で一気に打ち解ける。
焦ったときの癖や、勝ったとき・負けたときの反応、そして操作に不慣れな相手への気遣いなど。それらの些細なコミュニケーションは、恋愛の駆け引きよりもはるかに素直で、暮らしの相性に近いものではないだろうか。
11月のフレマリアルイベント「好きなゲームについて語ろう&遊ぼう!ゲーム会」は、
まさにそんな“相性の素顔”を静かに照らすような会になった。
ゲームをすると、自然と「素の距離感」が見える
集まってくれたフレマユーザーの方は4名。今回でイベント参加が3回目の方、仕事の忙しさでなかなかゲームができていないという方、まったくゲームには詳しくないけれど、ゲームをしながら人と話してみたいと勇気を出してくださった方。
背景も動機も異なる参加者が集まり、2時間というイベントをともに楽しむ空間が生まれた。

最初のゲームが始まると、「ちょっと待って!どのボタンだっけ!?」「あ、落ちちゃった〜!」と、さっそく和気あいあいとゲームを楽しむ、それぞれの声が弾む。
驚くのは、この“わちゃわちゃ感”のなかでも、自然発生的なコミュニケーションをお互いに楽しんでいたこと。
ゲームが得意な人は、画面越しにさりげなくサポートする。操作に不慣れな人は、「こうなってるんだ!ありがとう!」と自然に言える。

このやりとりは、まるでプチ“共同生活”の縮図のようだった。
たとえば、
・困ったときに「待って」と言えるか
・相手のペースに合わせられるか
・思い通りにならない展開でも怒らないか
こうした小さな反応の積み重ねは、「一緒の空間で過ごしたとき、お互いに居心地が良いかどうか」のヒントになるのではないか。
友情婚やパートナーシップを考えるうえで、この“生活リズム”に近い感覚は、じつはかなり重要だ。
「やさしさの種類」の違いが可視化される
マリオカートやスマブラ、マリオパーティのミニゲームなどを立て続けにプレイする参加者たち。画面は大混乱で、キャラの位置は見失いがち。
それでも、この“予測不能な展開”にどう向き合うかで、人柄のやわらかい部分が垣間見えてくる。ある参加者は笑いながら「もう自分がどこにいるかわからない〜!」と言い、周りも「わかる!」と賛同する。
負けた悔しさを「まあいっか」「楽しいからOK!」に切り替えるのが上手い人。反対に、うまくできないときに自分を責めすぎてしまう人。
どちらが良い/悪いではなく、その“癖”を知れることが、きっと貴重なのだ。
パートナーを選ぶとき、「うまくいかない瞬間に、その人はどう反応するか」を観察するのは、一緒に暮らすうえでとても大きい要素のはず。ゲームは、その様子をさりげなく映し出してくれる。
イベント後半のマリオパーティでは、直感で楽しめるミニゲームが中心。ここでは、それぞれの“やさしさ”の方向性がよく見えた。
たとえば、
・不慣れな人には丁寧に説明するタイプ
・必要以上に手を出さず、見守るタイ
・勝ちすぎないよう力加減をするタイプ
・「すごいね」とよく褒めるタイプ
やさしさの“出し方”は人それぞれ。とくに友情婚やパートナー関係では、この“相性の種類”が暮らしの快適さを左右するように思える。
恋愛関係だと、好意や嫉妬が混ざりすぎて「素」が見えにくいけれど、恋愛前提ではないフレマのイベントだと、肩の力が抜けた状態の“ありのままのやさしさ”が見えやすいのかもしれない。
恋愛しない人たちが安心して「人とつながれる場所」
恋愛をしない、恋愛感情が弱い、それでも人とつながりたい。
そんな思いを持つ人たちにとって、「ゲームを一緒にする」という行為は、想像以上に“五感で信頼を確かめる”時間なのかもしれない。
誰かと笑う。
一緒に驚く。
うまくできなくても「大丈夫だよ」と声を掛け合う。
それだけで、“恋愛をしない人のつながり方”が確かに存在することを教えてくれる。
フレマのゲーム会は、単なる娯楽の時間ではなかった。共同生活やパートナーシップのリアルな“試運転”のような、安心感のある小さな共同体だった。
来月は、いったいどんな場が生まれるのだろう。
“つながりの形は一つじゃない”
その事実を、この場は静かに示し続けている。



