「結婚するなら、好きな人と」。この考え方、いわゆる恋愛を経ての結婚=恋愛結婚は、もはや私たちの生きる現代においては何ら不自然ではない考え方だ。人を好きになる、恋愛をする、付き合って、その延長線上に結婚がある。恋愛感情が土台にない結婚は、どこか不自然で、人から少しかわいそうな対象として扱われてしまう。
一方で、かつて結婚に至るきっかけとしての「お見合い」が当たり前の時代も、確かにあった。どうしても古めかしい印象が付きまとう、お見合い結婚。親や親戚、仲人に決められた相手と、恋愛感情もなく、気持ちが追いつかないままにする結婚という制度は、令和の今から見ると時代錯誤のようにも見えてしまう。
恋愛結婚は「自由」。そして、お見合い結婚は「不自由」。そんな単純な二項対立で語られてしまいがちだ。
けれど最近、ふと疑問に思うようになった。本当に、そうなのだろうか、と。
お見合い結婚とは、そもそも何だったのか
そもそもお見合い結婚は、恋愛感情を前提とするとは限らない結婚の形。相手を恋愛として好きかどうか、というよりも、この人と生活をともにできるか、家と家同士の関係は円滑に保たれるか、そんな経済状況や価値観、そして暮らしの相性が重視されていたように思う。
結婚とは、いわば感情のゴールではなく、生きるための選択。あくまで生活を成り立たせるための選択だったのだ。
あえて現代の言葉で言い換えるなら、お見合い結婚は「パートナーシップ重視の結婚」だったのではないだろうか。恋愛感情が育つかどうかは二の次。生活を送るうえで、相手が信用に足る人物かどうかを重視すること。その発想は、決して未熟でも、ましてや不幸でもない。
それに比べて、恋愛結婚が主流になった現代ではどうだろう。好きであること、ドキドキすること、性的に惹かれること、価値観が合うこと、将来像が一致すること……。そんな諸々すべてを、たった一人の相手に求めがちではないだろうか。恋愛、セックス、結婚、家族。これらが、ひとつのセットとして語られるようになった。
その結果、「好きで結婚したはずなのに、なぜこんなに苦しいんだろう」「恋愛感情が薄れてきたら、結婚生活は失敗なのか」と悩む人が増えているようにも見える。自由になったはずなのに、世間の見えない目から期待されるものが増えすぎて、かえって息苦しくなっているのかもしれない。
いま、ふたたび浮上する「恋愛じゃない結婚」

そんななかで、友情結婚や交際0日婚、事実婚や別居婚といった新しい(ように見える)結婚の形が注目されている。恋愛感情や性的関係を必須とせず、信頼や合意をベースに関係を築くスタイルだ。
けれど、これらは本当に“新しい”のだろうか? むしろ、もともとお見合い結婚が持っていた合理性や現実感を、現代的にアップデートしたものとも言えるのではないか、と私は思う。違うのは、ほかの第三者に決められるのではなく、結婚する相手を自分で選び取っているという点だけだ。
結婚の本質は、誰とどう暮らすかなのだ、きっと。毎日の生活のアレコレをどう分担し、困ったときにどう支え合い、どんな距離感で長く関係を続けていくか。恋愛は、そのための入口になることもあるけれど、決して結婚に至るまでの必須条件ではない。
「結婚=恋愛の延長」という呪縛から離れてみる

恋愛感情があっても続かない結婚はあるし、恋愛感情がなくても穏やかに続くパートナーシップもある。どちらが正しい、という話ではない。ただ、選択肢は一つである必要はないのだ。
昔のお見合い結婚と、いまの友情結婚。その根底に流れているのは、「感情よりも生活を大切にする」という姿勢だ。私たちはいま、恋愛をする自由だけでなく、恋愛をしない自由も、ようやく手にし始めているのかもしれない。
結婚の形が変わっても、人が誰かと支え合って生きたいと思う気持ちは、きっと昔から変わっていない。ただ、その方法を、自分の言葉で選び直せる時代になった。それだけで、少し心が軽くなる気がしている。





