「本気で好きになったことないだけじゃない?」
その言葉を向けられるたびに、胸の奥がチクッと痛みました。
悪気はないとわかっていても、恋愛に対する“当たり前”を押しつけられると、どこかで「私って変なのかな」と考えてしまう。
でも実は、私は“好き”の中に恋愛感情とか、それ以上の気持ちを求めてこなかったんです。
なんで“好き”になったら“性行為”が当たり前のようについてくるのか。
断ったら気まずくなるし、相手の方も傷ついてしまうというのを知っているからこそ、
“付き合う”の契約を結んでしまったら、逃げられなくなってしまう…。
そう考えるのは、普通ではないの?
だからこそ、誰かと比べられると、なんだか自分を責めたくなる。
でも今は、そんな私を責めないで、大切にしてあげたいと思っています。
他人に測られる“恋の温度”が痛い瞬間
「本気になったことがない」
「好きってどうせ表面的なものでしょ?」
こんなふうに、恋愛に対する感覚を他人にジャッジされた経験はありませんか?
人にはそれぞれ、恋愛の感じ方や向き合い方があります。
にもかかわらず、まるで正しい“恋の温度”があるかのように一方的に決めつけられるのは、どこか心が痛む瞬間です。
「普通はこう」「みんなそう」
その“普通”に当てはまらないことで、自分が間違っているように思ってしまう。
でも本当は、誰かの基準で測られるものじゃない。恋愛も、人付き合いも、もっと自由であっていいんだと、私は今はそう思っています。
傷ついたらセルフケアしないと大変なことになる

無理に我慢したり、自分の気持ちを押し殺したりしていると、いつの間にか心が疲れ果ててしまうことがあります。
「傷ついた」と気づいたときに、そのままにしておくと、後からじわじわ効いてくることもある。
だから私は、傷ついた自分を責めるのではなく、「よく頑張ったね」と声をかけるようにしています。
ひとりで立ち上がるのが難しいときは、好きなカフェに行ったり、信頼できる人に話したり。
そんな小さなセルフケアが、思った以上に自分を守ってくれることがあるんです。
「好き」の定義を自分の言葉で上書きする
「好き」って、なんだろう。
それは、誰かが決めた定義に当てはめるものではなく、自分の中で見つけていくものなんだと思います。
私は、恋愛感情を抱くことが少ないと感じるタイプです。
でもだからこそ、友達に向ける優しさだったり、誰かを大切に思う気持ちだったり、
そんな「好き」の形を、自分なりに大事にしたいと考えるようになりました。
「こうじゃなきゃいけない」なんてことは、ないはず。
「好き」の定義を、自分の言葉で上書きする。
それは、心の居場所をつくることにもつながっていくと思うんです。
共感コミュニティがくれる安心の居場所

私が心からほっとできたのは、同じような感覚を持つ人と出会えたときでした。
「わかる」「私もそう思う」
そんな共感の言葉は、思っていた以上に心を温めてくれるものです。
共感できるコミュニティに出会えたことで「自分はこれでいいんだ」と思えるようになりました。
恋愛やパートナーシップの形に決まりはない。
そのことを自然に受け止めてくれる場所があるだけで、私はどれだけ救われたかわかりません。
居場所を複数持つ生き方がいい
一つの居場所だけに自分を預けるのは、きっととても不安定です。
だから私は、仕事の場、趣味の場、信頼できる友人の輪。そんなふうに、いくつかの居場所を持つようにしています。
そのうちの一つが、私にとって“共感コミュニティ”だったんです。
どこかで否定されたとしても、他のどこかで受け入れられる場所がある。
そんなふうに複数の居場所を持つことが、心のバランスを取る大切な手段になってくれています。
あなたにも、そんな場所が見つかることを、心から願っています。
本当に大切にしたいのは、自分の心の声
他人に言われた言葉に揺れてしまうことは、誰にでもあります。でもそのたびに、自分の心がすり減っていくのは、もったいないと思うんです。
どんな言葉をかけられても、自分の感じ方は自分だけのもの。
その大切さを、どうか忘れないでいたい。
私は、自分の気持ちを否定しないことが、自分を守るためのいちばんのセルフケアだと信じています。
たとえ世間の“普通”と違っていても、その感性を大切にできる自分でいたい。
だからこそ、あなたにも、「これでいいんだよ」と言ってあげてほしいんです。
誰かの言葉に傷ついたとしても、最後に自分を癒せるのは、自分自身だと思うから。