シェアハウスで暮らし始めて、気づけば6〜7年が経った。最初は経済的な理由から選んだ共同生活だったけれど、35歳になったいま「家族じゃない人とゆるく暮らす」というスタイルが、思いのほか心地よく、自分の未来の姿としてしっくりくるようになった。
もしこの先も独身のまま年を重ねたら、私はどこで、誰と暮らすのだろう?
そんなことを考えていたら「老後シェアハウス」という選択肢が浮かんできた。今日は、そんな未来の暮らしの話をしたい。
シェアハウス暮らしから見えてきた未来の暮らし方
シェアハウスで暮らし始めて、もう6〜7年になる。最初は、フリーライターとして独立したばかりのころ、経済的な理由から選んだ共同生活だった。でも、気づけばある程度の収入が確保できるようになったいまも、この生活スタイルを続けている。
35歳になり、シングルライフを満喫している私にとって「家族じゃない人とゆるく暮らす」この環境は、もしこの先も独身で生きていくのなら、理想に近い形なのでは?と思うようになった。
一人暮らしは気楽でいいけれど、たまにふと寂しくなることもあるし、何より「ずっとこのままでいいのか?」という不安が、未来を考えたときに頭をよぎる。恋人や家族ではないけれど、一人でもない。そんな、ほどよい距離感のある共同生活が、シングルの老後には案外いいんじゃないか……? そう考えるようになったのは、ごく自然な流れだった。
現在のシェアハウス生活:ゆるく心地よい共同生活
私が住んでいるのは、中央線沿いのとあるシェアハウス。同年代の女性オーナーと共同生活をしている。
ここはちょっと特殊なシェアハウスで、オーナーがOKを出した人に限り、短期間の滞在も可能。月に5日だけ泊まりに来る人もいれば、数ヶ月だけ住んで次のステップに進んでいく人もいる。人の出入りがありながら、ずっと変わらない「ベース」のような場所があるのは、なかなか心地よいものだ。
私は上京したてのころ、ここに住んでいた。そのあと別のシェアハウスを2軒ほど経験し、結局また原点に戻ってきた形になる。いろいろ試した結果、この場所と環境がもっともフィットしていたのだと思う。
現在の私は、自由気ままにシングルライフを謳歌している。24時間すべての時間を自分のために使い、稼いだお金も基本的にはすべて自分のために使う(納税はきっちりしている)。好きなときに映画を観に行き、純喫茶を巡る。そんな生活が気に入っているし、何より楽しい。
でも、ふと考えることがある。この「好き勝手な暮らし」は、まだ30代だから成り立っているのでは?
老後の不安と「誰かがいる」安心感
年齢を重ねていけば、体力も気力も目減りしていく。いつまでも長生きで、ずっと健康でいられる保証なんてどこにもない。病気や怪我だってするだろう。万が一のとき、独身の私は誰に頼ればいいのか?
たとえば、入院の手続き。誰がしてくれる?
手術の同意書。誰が書いてくれる?
ちょっとした風邪をこじらせたとき、薬を買ってきてくれる人はいる?
考えれば考えるほど、一人で老後を迎えることのハードルが見えてくる。もちろん、最終的には福祉サービスや介護施設といった選択肢もある。でも、その前段階……「まだ一人で暮らせるけれど、完全に孤独ではいたくない」という時期に、どう過ごすのが正解なのか?
そこで浮かんできたのが、「老後シェアハウス」という選択肢だ。
「老後シェアハウス」は現実的にアリなのか?

私が考える理想の老後シェアハウスは、こんなイメージだ。
・基本的に自活できる独身高齢者が集まる
・毎日「おはよう」「おやすみ」と生存確認を兼ねた挨拶をする
・健康維持のために一緒に散歩をする
・お米や調味料などの重い買い物は、タクシーをシェアして持ち帰る
・風邪をひいたとき、最低限のサポートができる関係性を保つ
つまり「助け合うけれど、依存しない関係」が築ける場所だ。
もちろん、赤の他人と暮らすのだから、価値観の違いも出てくるだろう。でも、適度な距離感を持ちつつ、完全な孤独ではない暮らし。シェアハウスの延長のような形で、高齢者向けのコミュニティが作れたら、それはかなり私の理想に近い生活だ。
老後もシングルでいるなら、ゆるく支え合う暮らしを

「結婚しないの?」と聞かれるたびに「いまの暮らしが楽しいから」「一人が気楽だから」と答えてきた。実際、その言葉に嘘はない。シングルライフは楽しくて気楽で、自由だ。でも、一人で老後を迎えることにまったく不安がないわけではない。
家族でもなく、恋人でもなく、それでも「誰かがいる」安心感。
そういう暮らし方があってもいいんじゃないか。
まだ少し先の話ではあるけれど、シェアハウス生活を通して「老後シェアハウス」という未来を考えるのは、決して無駄ではない気がする。
「もしも」の話をするには、まだ早いかもしれない。だけど、こういう暮らしが実現できたら、シングルライフはもっと楽しく、安心できるものになるんじゃないか。
少なくとも私は、そんな未来をちょっとだけ楽しみにしている。