恋愛をしていない。恋愛に興味がない。そういうと「愛がない人間」だと思われる。そんな経験はありませんか?
恋愛することが当たり前のようになっている現代社会では、「恋愛をしない=愛がない」と見られてしまうことがあります。しかし、愛のカタチは人それぞれ。恋愛をしないことが、愛を知らないことにはつながりません。
恋愛しない人が持つ愛について、一緒に考えていきましょう。
「恋愛しない=愛がない」という決めつけ
「なんで恋愛しないの?」「恋愛に興味がないなんて人生損してるよ」「そんなこと言って、心のどこかでは寂しいんじゃないの?」そんな言葉を投げかけられたことはありませんか?
恋愛することが当たり前のようになっている世の中には、恋愛をしない人は「愛がない」「冷たい」「心を閉ざしている」といった固定観念が残っています。
また、恋愛に無関心である、あるいは恋愛を選ばない生き方をしていると、まるで「人として何かが欠けている」と評価されてしまうことさえある。
しかし、本当に「恋愛しない=愛がない」なのでしょうか?一度立ち止まって考えてみてほしいです。
恋愛がしたくてもできない人、恋愛に興味がわかない人、恋愛を望まない人———背景は人それぞれ。けれど、そのどれもが「愛がない」にはつながらないはずです。
恋愛が「愛」のすべてではない

ある人にとっての恋愛は、確かに心を動かす素敵な体験かもしれません。でも、それは愛の一部にすぎず、恋愛以外の場面でもたくさんの「愛」があります。
たとえば、友達が悩んでいるときに話を聞いて寄り添ったり、家族だからこそ少し厳しいことを言ったり…そんな関係の奥底には、深い愛情があると思うのです。
思い返してみてください。誰かの小さな優しさに心が救われた経験はありませんか?恋愛とは違うけれど、そのときあなたは確かに愛を受け取っていたはずです。
直接伝えはしなくても誰かの幸せを願う気持ち、自分自身をいたわる時間だって、愛のカタチのひとつ。
このように、恋愛をしないからといって、愛がない人間になるわけではありません。愛のカタチとして見えやすいのが恋愛なだけであって、恋愛に限らずとも世の中にはたくさんの愛があります。
それを見ようとせず、「恋愛しない=愛がない」と決めつけてしまうのは、とてももったいないこと。愛のカタチは、私たちが思っている以上に、もっと自由でいいのです。
愛は自分の物差しで測る
人はつい他人の物差しで自分を測ってしまいがちです。
恋人のいる人が充実しているように見えて、恋愛をしていない自分は世の中に取り残されているような気がする。周りが恋バナで盛り上がっていると、恋愛しない自分には共感できる話題がないと感じてしまう———本当は誰かと比較する必要なんてないのに。
恋愛をしたいと思う人がいれば、恋愛なんて必要ないと思う人がいて当たり前。恋愛をしていなくても、誰かを想ったり何かを大切にしたり、愛のカタチは人の数だけあります。
自分がどんなカタチで誰を、何を愛するか。それは、誰かに評価されたり、誰かと比較されたりするものではありません。
愛のカタチは、他人の基準で決めなくていい。自分自身の感じる愛、自分のペース、自分の心の声を信じていいのです。
恋愛しなくてもあなたなりの愛がある
「恋愛をしていない」「恋愛に興味がない」と、自分で自分に「愛のない人間」というラベルを貼ってしまうことがあるかもしれません。
でも、恋愛しない生き方は、ひとつの選択肢としてあっていいもので、そこにはあなたなりの愛があるはず。
あなたの愛が恋愛という枠に収まらなかっただけだと考えてみるのはどうでしょうか。恋愛感情がなくても、暮らしのなかで誰かを大切に思う。恋愛のような派手さはなくても、そこには深い愛情があって、尊いものなのです。
恋愛をしないあなたにも、きっとあなたなりの愛があります。恋愛しない生き方を選ぶことは、愛を選ばないことではなく、自分のペースで、誰にも縛られずに愛と生きることなのです。
「愛がない」と言われたら

これから先、誰かに「あなたって愛がないよね」と言われたり、恋愛しないという選択肢を「冷たい」「寂しい」と決めつけられたりすることがあるかもしれません。
そんなとき、あなたの考え方や選択を理解してもらえるに越したことはありませんが、恋愛することが当たり前になっている世の中ではこれがまた難しい。
だから、無理に反論したり理解を得ようとしたりする必要はありません。誰かに理解してもらうことより、自分が自分の愛のカタチを信じることのほうがずっと大切。
愛は恋愛にだけ存在するものではない。あなたのなかにある誰かを大切に思う気持ちや優しさ、そのすべてがあなたの「愛」です。
恋愛しないからといって、愛がないわけじゃない。あなたの愛を他人の物差しで測ることなく、そのままの自分を愛してあげてください。