私は、老後が怖い。いや、ずっとずっと、漠然と怖かった。一人で時間を過ごしているとそうでもないけれど、結婚している友人や子持ちの知り合い、長期休暇で実家に帰って子だくさんの親戚のなかに揉まれていると、ふと恐怖が降りてくる。このまま私はずっと、一人なんだろうか。誰にも看取ってもらえず、一人で死んでいくんだろうか。このまま曖昧な怖さに塗れながら生きていくのかもしれない、という不安と、結婚しない=孤独って本当なんだろうか? という少しの反発の間で、揺れている。
一人の老後って、そんなに恐ろしい?

一番怖いのは、病気と経済面だ。私は20代のころ、葬儀会社で式を執り行う仕事をしていたので、毎日のように故人や遺族の方々と向き合ってきた。命を閉じた人と、見送る人。たくさんの親戚や友人に惜しまれながら旅立つ人もいれば、たった一人で去っていく人もいる。
独身で子どももいない私にとって、年齢なんて関係なく「孤独死」は身近だ。いまは働けているからいいけれど、年齢を重ね、自分の思い通りに身体が動かなくなり、気力も追いつかなくなって満足に働けなくなったら、どうなる? 配偶者も子どももいない。これまで自分でなんとかしていた部分が、どうしようもできなくなったら、シンプルに「死」しか浮かばない生き方をしてきた。
一人で死んでいく人は、寂しい。白手袋をつけ、もっともらしい顔をしてたくさんの「一人で亡くなった人」の最期を見てきた。何もない。ささやかな花と、なんとか探し出してきた写真と。見送りのためにその場にいるのは、葬儀会社の人間、ケアマネージャーさん、火葬場の方くらい。なんとも寂しい、侘しい。私もいつかこうやって、関係性の希薄な人たちに看取られるだけの人生で終わるのかもしれない。
でも、一人の老後って、そんなに恐ろしいんだろうか?
同じような不安を抱えている方と話をする機会があると、ふとポジティブな方向に話が流れていく瞬間がある。そのときに必ず出るのは「結婚しているからといって、孤独じゃないわけではない」「これからどんどん独身者は増えていくのだし、社会制度もますます整っていくはず」という話。
確かに自分の祖父母を見ても、夫婦のどちらかに先立たれてしまったら、あとは一人だ。結婚したからあとはすべて安心、何も心配することはない、なんてことにはならない。そもそも「老後を充実させるために、孤独死しないために結婚しておく」という考え方自体、なんだかさもしい。
それに、一人なら一人で、それに見合った社会制度が整っていくのだろう。すでに、身内が居なくとも最期の瞬間まで面倒を見てくれる施設は存在する。ケアマネージャーさんだっているし、訪問介護だってある。必要なお金さえあれば、望んだ暮らしができるはず。
すべては希望的観測に過ぎないし、だからといって不安のすべてが拭いとられるわけでもない。それでも、既婚・未婚を問わず「老後は結局、一人になる場面があるものだ」と知っておけば、少しは楽になれる。
老後を“寂しい”ではなく“静か”にできたら
不安と恐怖を抱えながらも、理想の老後というものを妄想してみる。小さな庭のある平屋。駅からは少し歩くけれど、静かで陽の光がよく入る。ひとり用のソファが窓際にあって、好きな本に囲まれて、温かい飲み物があって。好きなときにドラマや映画を観られれば、それでいいのかもしれない。じゅうぶん、足りているのかもしれない。
そばに誰かがいてくれたら、なお嬉しいし、楽しいだろう。でも「一人でいることが寂しいから、誰かといることをえらぶ」のではなく、「一人でも心地いいけど、一緒にいてもっと心地いい」……そんな関係が、もし築けたなら、理想だ。
そのためには、もっともっと、自分と仲良くしておくことが大切なのではないか。自分の好きなもの、嫌いなもの、心が落ち着く場所、そして、しんどくなったときの対処法。そういうものをちゃんと知って、把握しておく。いつでも取り出せるようにしておく。
ひとり映画、ひとり旅、ひとりで行く喫茶店、推しを眺める時間。どれも「誰かのため」じゃなく「自分のため」に積み重ねてきたこと。
一人でも大丈夫、と思える自分でいられたら、誰かといてもたぶん、うまくいく。その反対も、また然りだ。無理に「老後のために人と一緒にいたい」ではなく「一人でも満ち足りたうえで誰かと繋がれる」ことが、きっと一番自由で豊かな老後なんじゃないかと、いまは思っている。
“孤独”を恐れすぎないで、自分の心に忠実に

「結婚しないと孤独になるよ」
「一人で死ぬなんて、かわいそう」
そんな言葉に、知らず知らずのうちに縛られていたのかもしれない。「結婚しない=孤独=不幸」だなんて、いったい誰が決めた? よくあるドラマの主人公みたいなことを言ってしまうが、実際のところ、既婚の人だって孤独を感じるときはあるし、誰かと暮らしていても心が通じ合わないこともある。それって、実は一人でいるよりももっと、深い孤独なのかもしれない。
本当に怖いのは「一人になること」そのものじゃない。「自分を大切にできないこと」「自分の気持ちをごまかしたまま、誰かと一緒にいようとすること」だ、きっと。
老後のことを真剣に考え始めた近頃、ようやくわかってきた気がする。いま、この瞬間を、どんなふうに生きているか。その積み重ねが、そのまま未来をつくっていくのだということ。いまの自分の延長線上にしか、未来の自分はいない。
だから私は「一人で生きていく未来」も、ちゃんと自分らしく整えていきたい。きっとそれは、どこか静かで穏やかで、自分だけのささやかな楽しみに満ちた日々だろう。寂しさがまったくないとはいわない。でも「それでも悪くないよ」と自分に言ってあげられるような老後なら、そんなに怖がる必要もない気がしている。
一人で生きていく未来にも、ちゃんと希望はある。そう信じて、今日も私は一人でご飯を炊き、コーヒーを淹れ、本を読んでいる。